Parsleyのリハビリ部屋

ちょっと人生に疲れたParsleyが、リハビリのつもりでつらつら言葉を重ねていくブログです。

『ゴブリンスレイヤー』のキャラでは孤電の術士が断然好きだ

f:id:Parsley:20191226180352j:plain

 

 蝸牛くも氏の『ゴブリンスレイヤー』について、今更仔細を説明する必要はないだろう。2018年冬に放映されたアニメの評価も高く、2019年2月には新作映画が控えている。単行本本編も11巻を数えるが、雪山・エルフの森・シティアドベンチャー・砂漠と毎回趣向を変え、過去の名作ゲームの風味をまぶして、初見の人からオールドファンタジーファンまで楽しめる。ラノベというより娯楽小説として世界観の完成度が高いことがこれだけ人気を集めた所以なのではないだろうか。

 

 『ゴブリンスレイヤー』における「神」とはゲームデザイナーやゲームマスターGM)で、「祈りし者」に「プレイヤー」、「祈らぬ者」に「ノンプレイヤー」とルビが振ってある。「盤面」「四方世界」といった言葉が出てくるように、世界そのものがマップであり、サイコロの出目によってキャラクターの運命が変わっていく。そんな中、主人公のゴブリンスレイヤーは「神に決してサイコロを振らせようとしない」プレイ(人によってはこれをマンチと呼ぶ)を徹底していて、「何か変なの」呼ばわりをされるわけなのだが、それはこの人生(ゲーム)のルールを「くそくらえだ」と毒づきつつも忠実だということの裏返しで、決して神々へ抗おうとしているわけではない。他のキャラクターもみな同様である。

 

 いや、ただひとりだけ、神々への挑戦を試みた人物がいる。外伝2巻に登場する孤電の術士だ。

 ゴブリンの巣窟で「灯」の指輪を見つけたことにより、ゴブリンスレイヤーと縁ができた孤電の術士は、金髪に眼鏡、豊かな胸と見事な肢体が上衣からもわかる魅力的な女性だが、同時に魔術師らしい魔術師として描かれている。彼女の物言いは「まわりくどい」がゴブリンの生態や習性、対処法をゴブリンスレイヤーに教える。ゴブリンに対する思考へのアプローチの重要性を示してみたことからも、忍び圃人に次ぐ第二の先生と呼べる存在といえるだろう。

  

 彼女が目指す「界渡り」は、いわば盤の外へと出る行為だ。これについては魔女の評する言葉が示唆的だ。

 

「ああ、なれる……人。少ない、の。ことわり……の、外。そこは、とても怖い……から」

「知らないから……で。見に、行ける人……は、すごい……わ、ね」

 

 

 自分たちが生きて知る世界から人間はなかなか出ようとしない。それを知の探求という一心で赴こうとする孤電の術士と、村と最愛の姉を失い、ゴブリンの撲滅に狂奔するゴブリンスレイヤーは、何か一点を追求するという性質が合ったのだろう。

 

 「灯」の指輪をきっかけに出現した影の塔へと挑んだ孤電の術士とゴブリンスレイヤー。ここにまでも棲み着いたゴブリンを皆殺しにしつつ辿り着いたこの世の最果ての踊り場で、二人は虚空を見る。今にも泣き出しそうな笑顔になり、「行きたいのは、この先だから。まだ、これからなんだよ」という彼女は、彼にこのような言葉を与える。

 

「だから、私は笑わない」

「きみが、子鬼を殺す者となることを」

「きみにも灯はあるんだよ」

だからーー私は笑わない。

 

 

 そうして、はじめて彼がゴブリンスレイヤーであることを肯定した彼女は、後時を託して、「じゃあね」の一言だけを残して、虚空へ身を躍らせて姿を消す。

 

 このシーンを、乾いた表現をするならば、熟達したプレイヤーがGMになる瞬間となるかもしれない。あるいは、別の盤へ席を変えると捉えることもできる。もっと単純な異世界転生の可能性もある。だが、いずれにせよ、ゴブリンスレイヤーが考えたように、彼女はシナリオを為し遂げた。このことは揺るがない。

 

 外伝二巻を読むたびに、私はわけもなく泣きたくなるのは、彼女のような探求者への憧憬なのだろうか。魔女が示唆したように、「盤の外」に関心を持つ人間(コマ)はこの世界にほかにもいるのだろう。だが、『ゴブリンスレイヤー』という作品において、明確に描かれたのは彼女だけ。そして、この物語としては異色のエピソードとキャラクターが描かれたこと自体、得難いことだと思うのだ。そう、泣きたくなるほどに。

 

ga.sbcr.jp

 

ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン2 (GA文庫)

ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン2 (GA文庫)