Parsleyのリハビリ部屋

ちょっと人生に疲れたParsleyが、リハビリのつもりでつらつら言葉を重ねていくブログです。

『ショートショートショートさん』にはマンガならではの面白さと、ちょっとした事を「面白がれる」大切さが込められていた

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 表紙がオシャレで気になっていたタカノンノさんの『ショートショートショートさん』。2巻が刊行されたこともあって一気に読んだ。

 一読して思ったのは、「これはマンガの面白さ」だということ。例えば1巻の最初のコマが、目を両手を使って広げてコンタクトを入れるシーン。「ダリの『アンダルシアの犬』かよ!」というホラー的な描写。洗面台→メガネの視線が移るのは映画的なのだが、その後に鏡を見て「へへ……」と笑う樹さんのキュートさのギャップ。この振り幅の激しいタッチは、マンガでないと表現するのは難しいと思う。

 

 「ショートさん」こと五十嵐樹さんは、事務員(?)をしつつ、小説を書き、映画を観て、SNSに一喜一憂しているという、リアルな「おひとりさま女子」が描かれている。時折挟まる漫☆画太郎先生的なオーバーなタッチで、その心境の変化がビビットに捉えられているのだけど、次の日にケロッと忘れていることが多い……ような気がする。この「引きづらない」ところが、リアルで今っぽくもある。

 脇を固めるキャラも「こじらせている」のだけれど「こじらせすぎて」いない。彼氏が絶えない黒田花ちゃんが「誰か私のことを必要としてくれ、可及的速やかに」と自撮りをツイートして「違う」となるあたりの回のオチとか可笑しいし、ショートさんの同期で教師をやっている五十嵐さんが完全にオタク沼にハマっていて、生徒にスマホの使い方について会議をした後に「私には何も言う資格がないんですよ」と落ち込むあたりも微笑を誘う。この「笑い」が決して「嘲笑」ではなく、「そういうことあるよね」と共感できるような、でも面白いといった人間観察的な惹き付け方が上手い。

 

 唯一、棘のような読後感を抱いたのは、ショートさんの弟の渉くんに大人のアレコレを教えた師匠が、ショートさんのことを「あんまり面白そうな人じゃない」と評するところ。ここで「面白くない」と言われた経験が走馬灯のように駆け巡り、ショートさんが自分のことが「面白い」アピールをするシーン。

 なんだかんだで世間は「面白い」が溢れているし、求めている。一方で、ほとんどの人は不特定多数にとっては「何者でもない」存在であるというのが、このエピソードには詰め込まれている。その次の回でちゃんと「誰か」にとっては「何者でもなくない」話を持ってくるあたりに救われた……と思いきや、生々しくオトされるあたり、「普通」というのも「面白く」描こうと思えば描けるし、「面白がる」ことはどんな些細な事でも出来るというのが、本作の魅力と言えるだろう。

 

 誰にでも、ファッション誌のカットのような「一瞬」があるし、誰にも分からないちょっとしたことでどんよりとした気分になる。そのどちらを感じ取るかは読者に委ねられている。やろうと思えばどちらにも振ることができるのに、振り幅で勝負しようとした作者の気概も感じられる。繰り返しになるけれど、マンガならではの面白さを追求している姿勢をこれからも応援したい気持ちにさせられた。