Parsleyのリハビリ部屋

ちょっと人生に疲れたParsleyが、リハビリのつもりでつらつら言葉を重ねていくブログです。

『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』は正統派ファンタジーだと思う件

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 ライトノベルの黎明期だった90年代のグループSNEと『ソードワールド』『ロードス島戦記』を出すまでもなく、TRPGとの関係が深いのは言うまでもないのだが、現在の『小説家になろう』をはじめとするファンタジー系の作品を読んでみても、ゲームの世界観に近いなぁと感じるものが多いように思う。とりわけ設定が練られている小説ほど、その傾向が強い。 

 

 2017年に登場したざっぽん氏の『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』(以下『真の仲間』)は、「スローライフ系」から派生した「追放系」の嚆矢の一つとされているが、ここで注目したいのは神によって生み出されし生物すべてが「加護」を持っており、それにより生き方が影響を受けるという設定だ。

 主人公のレッド(ギデオン)は、レベルの低い勇者を序盤に助ける「導き手」という加護で、生まれた段階でレベルが30プラスと、序盤で無双できるが、物語が進んでいくと特殊スキルを持たないため戦線からは外されていくという、シミュレーションRPGにありがちなキャラクター。レッドの妹の「勇者」ルーティは、その加護のために世界を救う運命にあり、レベルが上がるほど食べず眠らず恐怖も感じず……と人間離れした存在へとなってしまっている。さらに、「加護の衝動」により困難に直面した相手がいた際に本人の意思によらず助けようとしてしまう。このあたり、ゲームにおける「職種」を「加護」に上げたことによるマイナス面を描いているところが、『真の仲間』の大きな魅力となっている。

 

 『真の仲間』の世界観において、「加護」は至高神デミスによって与えられるもので、人間やエルフ、ドワーフだけでなく、未開の部族や知性を有するモンスターに至るまで対象になっている。それには名前とスキル、レベルが存在し、大成するためにはレベルを上げるために、相手と戦い殺傷するしかない。戦闘系・非戦闘系関わらず、である。だからレッドは「この世界は戦いに満ちている」と独白するのだ。

 

 「加護」との相性、という考え方も面白い。例えば「賢者」アレスは貧乏貴族出身でお家再興を目指し、自身が賢者だというプライドが邪魔して交渉などが苦手など、傲慢なキャラクターとして描かれている。真の賢者ならば森羅万象や人の機微に聡く、思慮深いはずなのに、そうではない。これは「加護」はあっても本人の資質が合っていないということになる。逆に、特殊なスキルのないレッドは、ないからこそレベルや固有スキルを限界まで上げ、さまざまな文献を読み知識を蓄え、「導き手」だったからこそ努力できたということが描写されている。「加護」は絶大な影響を与えるが、それによって幸福になるか不幸になるのかは、個々次第というあたりが、物語に深みを与えている。

 

 一方で、「加護」に依らないアスラデーモンが主人公たちと対峙したり、「加護」のレベルを上げずに悪役として生きることを選んだキャラが登場するなど、「加護」の外にいる者たちの存在を描いているのも世界観に奥行きを与えている。逆に言えば、「理の外のモノたち」を出すというのは作者にとっては相当な冒険で、緻密なストーリー展開が要求される。レッドとリットのイチャイチャや、ルーティのブラコンぶり、ゾルダンの人々の呑気な日常といったスローライフ要素も読んでいて楽しいのだが、不穏な空気が常につきまとうあたりが、読者が飽きない理由でもあり、単なる「なろう系」「スローライフ系」「追放系」といったカテゴライズを超えた作品になるのでは、とどうしても期待してしまうのだ。

 

 あと、どうでもいいけれど、5巻の特典ドラマCDに出てくるクリス役の大西沙織嬢、ちょっと好みです。

 

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